チッカマウガ


 

 

チッカマウガとは?

 

 

1945年8月15日、日本は第2次世界大戦の終戦を迎え、同年8月30日マッカーサー元帥が厚木に上陸をし日本占領がはじまった。

 

大分でも、1945年10月13日にコリンズ中佐が率いる第5兵士団第5戦車隊が推進しその後1957年まで駐屯していた。

 

別府では1946年12月15日に「キャンプ・オブ・チッカマウガ」と名づけられた。駐屯キャンプが野口原に作られ、1956年の撤退まで米軍の駐屯生活が続けられた。その時の米軍は総称を「進駐軍」と呼ばれ日本全国で数々の歴史を残している。

 

米軍が別府を駐屯地に選んだ真意は定かにされていないが、なぜ別府が選ばれたかというと、やはり世界的な温泉地であると共に、海陸の交通の要所であったからである。

 

そのために別府が戦火から逃れることが出来たといわれている。別府でも野口原(キャンプ・オブ・チッカマウガ)が選ばれたのは明治38年に「梨本宮殿下」が温泉療養で完治したお礼に松の木の植林をされ、15万本から20万本の松の木が一帯をおおい自然が残る野口原(キャンプ・オブ・チッカマウガ)は、キャンプ地に選ばれた。

 

キャンプ地名が「チッカマウガ」と呼ばれた語源は元来インディアンの土語から来ておりアメリカ、アラバマ州の土地名で南北戦争で最後の激戦地の一つといわれ「ロック・チッカマウガ」という名の通り石がゴロゴロしている地形にあり「野口原」のキャンプの地形がそれに似ていた事から名付けられたと言われている。

 

 


 

チッカマウガのいま

 

 

「キャンプ・オブ・チッカマウガ」が存在した12年間にタブー化されてしまった事を含めその存在や数々の出来事が別府の財源、生活、文化などに多大なる影響を与えた事によりアメリカンナイズされた魅惑的な異国文化のあるふるさと別府となった。

 

その時から50数年を迎えようとしている今「キャンプ・オブ・チッカマウガ」は、公園などに姿を変貌し人々の記憶から遠ざかって行こうとしている。

 

「キャンプ・オブ・チッカマウガ」に限らず日本全国に米軍が駐留していた事が多種多様にわたり現在の日本に大きな影響を与えていると思う。